歯みがき習慣がつくられた100年

歯みがき習慣が根付くまでには歯科医師、行政、企業の力を結集した粘り強い取り組みがありました。「むし歯撲滅」から「健康寿命の延伸」へ。目標も時代とともに変化しています。その歩みをたどってみましょう。

⑬「たんぽぽ」と「さくらんぼ」 地域で職場で広がる口腔衛生

新口腔衛生車「たんぽぽ号 ドリーム」
新口腔衛生車「たんぽぽ号 ドリーム」

たんぽぽ運動の始まり

1950年代の後半から、ライオン歯磨の「たんぽぽ運動」が始まりました。これは母と子のための歯科保健活動で、ネーミングには「美しくたくましいたんぽぽのように健康な歯を保ってほしい」という願いが込められ、まるでたんぽぽの綿毛が風にのって飛ぶように全国に広がっていきました。
口腔衛生車「たんぽぽ号」が誕生したのは1974(昭和49)年。1日に母子750組の指導をしたそうです。ある団地では子どものいる世帯のほとんどが「たんぽぽ号」に乗車したという記録があります。1986(昭和61)年には「たんぽぽ号 ドリーム」が登場。フッ素塗布装置をはじめ、テレビ、ビデオ、モニター付き顕微鏡など最新鋭の設備機器を搭載して、最初の年に2万9911名、翌年には3万4000名を検診しました。
それにしても、写真で見る通りカラフルで楽しい、子どもならずとも一度は乗ってみたくなるバスですね。

さくらんぼ運動の広がり

この「たんぽぽ運動」に対して、一般の社会人のための口腔保健活動は「さくらんぼ運動」と名づけられました。ライオン歯磨の大阪支店が、管内の関西電力の各営業所を巡回、歯科健診やスケーリング(歯垢清掃・歯石除去)などを実施して大好評だったのが始まりでした。
その後は各地で企業を巡回し、会社側からも従業員からも大歓迎されました。そこで、ライオン歯磨は指導者の育成のための研究会を開催、PR誌「さくらんぼニュース」を発刊するなど、運動をさらに盛り上げていきました。また参加企業の中から24社が集まって「産業歯科予防管理グループ」を結成。運動の組織化、内容の充実を図っていくことになります。
そして今も、「さくらんぼ運動」はライオン歯科衛生研究所の企業向け歯科保健活動として、働く人々の歯の健康に貢献しています。

⑭子どものむし歯が劇的減少!フッ素入り歯みがき剤のパワー

はじめてのフッ素入り歯みがき

1948(昭和23)年、日本初のフッ素入り歯みがき剤が発売されました。それが「ライオンFクリーム」です。しかし、残念なことにあまり売れませんでした。
フッ素にむし歯の予防効果があることは知られていました。米国ではフッ素入りの歯みがき剤が一般的という情報も戦前から得ていましたが、一般に広まるには少し時間が必要でした。
そしてようやく、1957(昭和32)年発売の「(フッ素配合)スーパーライオン」がヒット商品になりました。1962(昭和37)年にはサンスターも「フッ素サンスターシオノギ」を発売。フッ素入り歯みがき剤が普及し始めたのです。

目覚ましいフッ素の力

30年ほど前、日本の歯みがき剤のうちフッ素配合のものは10%台でした。それから少しずつ増えていって、今では90%台になっています。その結果、目ざましい効果が現れました。
上のグラフは、12歳児の平均むし歯経験数(DMFT)とフッ素入り歯みがき剤のシェアの推移を示しています。フッ素入り歯みがき剤が増えるのと反比例して、DMFTが減っているのがよくわかります。1985(昭和60)年には12歳児のDMFTは4.63本。それが2015(平成27)年には0.9本。30年間で、なんと約4分の1にまで減りました。フッ素の力が実証されたのです。
フッ素入り歯みがき剤で歯を磨くと、フッ素は口の中、歯や粘膜などに残って効果を発揮します。そのフッ素を活かすためには、歯みがき剤をどれくらい使うか、何分くらい歯をみがくか、何回洗口するかなどが大切なポイント。歯みがき剤を効果的に使って、お口の健康を保ちましょう。