こうして歯みがきは身近になった

人々の口腔衛生意識を高め、歯みがきの習慣化を促すうえで大きな役割を果たしたのは企業が展開した宣伝、広報活動です。その活動は、強い使命感と企業文化に裏づけられたものでした。

⑨展覧会で大好評!まじめな「キッスのエチケット」

「キッスのエチケット」コーナーの展示パネル(部分)
「キッスのエチケット」コーナーの展示パネル
(部分)

歯の口の健康について百貨店から情報発信

レジャーや娯楽施設がまだ少なかった昭和の中頃、百貨店は庶民にとって娯楽の場でした。それでだけでなく、展覧会やイベントを通して、最新情報を発信する基地でもありました。
たとえば、1950(昭和25)年6月、新宿三越で開かれた「顔の“美と健康”展」。展覧会の発起人として協賛したライオン歯磨(現・ライオン)は「顔の中心〈歯〉ムシ歯予防の新しい知識」「歯肉を健康に」「アメリカでの歯の衛生」の3つのコーナーを担当し、口と歯の健康の大切さを訴えました。
この企画を引き継いだライオン歯磨は、この年の10月、名古屋松坂屋で展覧会を開催、新たに設けた「キッスのエチケット」のコーナーが大いに注目を集めました。実は、とてもタイムリーな企画展だったからです。

気になるのはお口の清潔

この年の3月に封切られた東宝映画『また逢う日まで』のクライマックスに、キスシーンがありました。主演の岡田英次と久我美子の「ガラス越しの接吻」に、観客はドキドキ、うっとり。外国映画にはよくキスシーンがありましたが、日本人同士のキスは、ガラス越しでも衝撃的だったのでしょう。
キスといえば、気になるのはお口のエチケット。この展覧会では、精神科医や映画監督など著名な有識者たちが「キッスのエチケット」についてまじめに論じ、指導したといいますから、時代を感じさせますね。
大好評を博したこの展覧会は、少しずつ模様替えをしながら各地を巡回しました。キスと口腔ケアを結びつけた展示は、見た人の心にお口の清潔を保つことの大切さを強く印象づけたに違いありません。

⑩風俗学、人類学的価値も 歯の面白百科事典『よはひ草』

貴重な資料を集めた『よはひ草』(全6集)
貴重な資料を集めた『よはひ草』(全6集)
床屋が歯医者を兼ねていた時代の治療の様子
床屋が歯医者を兼ねていた時代の治療の様子

歯にまつわる学術的展覧会

社名が小林商店だった時代から、ライオンはさまざまな展覧会を催していました。中には、資料的、文化的な価値の高い展覧会もありました。
その代表格が、1927(昭和2)年、東京の丸菱呉服店で開かれた「歯に関する趣味の展覧会」です。全国の趣味人や篤志家、研究者などに声をかけて、古今東西の歯まつわる資料や古物を集め、展示しました。貴重な資料も多く、一種の学術展覧会とも評されて、延べ10万人もの来場者を集めました。
このとき集められた資料は、『よはひ草』(全6集)という文献にまとめられました。小林商店の小林富次郎社長の下、3年かけて編集、刊行された労作です。

人間は歯とどうつきあってきたのか

ページをめくると、多彩な内容に驚きます。古い医学書の記述、全国各地の歯にまつわる伝説や俗信、お歯黒の慣習、文学や随筆からの引用した歯についての言説、歯をテーマにした俳句の数々……。床屋が歯医者を兼ねていた時代のオソロシイ治療風景や、歯で重たいものを持ち上げている歯力自慢の男など、口絵も豊富。『よはひ草』は、人間が歯とどうつきあってきたのかを教えてくれます。
「歯」という字は、年齢を表す「齢」という字と同様、「よわい」とも読まれ、年齢や生命を意味します。人々は年をとるにつれて歯が抜けることを恐れ、さまざまなまじないで歯痛に対処していた様子にも、興味をそそられます。
『よはひ草』は、学界や新聞社、図書館など、各方面に寄贈され、極めて貴重な資料集と高く評価されました。