人はいつから歯みがきを始めたのか
誰もが毎日、歯をみがく。この習慣がつくられたのはこの100年のことにすぎません。では、それ以前の人々は歯とどうつきあってきたのでしょう。エピソードでつづる口腔保健前史。
⑦後世に残されてかわいそう?絵巻物の題名は「口臭の女」
口臭に悩んだ平安美女
国宝の『病草紙』という平安時代末期の絵巻物を知っていますか? 「教科書で見た」という人も多いかもしれません。『病草紙』には、さまざまな病気に苦しむ人の様子が描かれていますが、その中に、楊枝を使っている女官の場面があります。
そのそばには、着物のたもとで口を覆う2人の女官も登場し、こんな説明文まで付いています。その内容は……。
「一人の美しい女がいた。女にひかれる男たちは彼女に近づこうとした。しかし、近づくと、とたんに鼻をつまんで逃げ出してしまう。耐えがたい口の臭さなのだ」
この絵の題名は、そのものずばり、「口臭の女」。この女官は楊枝を使って、口臭を消そうと必死なのでしょう。
口臭の原因として考えられるのは、口の中が不潔なこと。あるいは、むし歯や歯周病だったのかもしれません。口腔ケアが浸透している現代と違い、当時は、口臭にこれほど悩む光景はありふれたものだったのかもしれません。
はたして、楊枝は、口臭をやわらげる効果があったでしょうか。きっとささやかだったに違いありません。なんだか、絵巻物に描かれた女官が気の毒ですね。
朝は神仏に祈り、歯の掃除
「起床後は、まず、自分の一生を支配する属星(ぞくしょう)の名前を七回唱えよ」
そんな家訓を残したのは、平安時代中期の貴族・藤原師輔(もろすけ)です。ちなみに属星というのは、陰陽道で、その人の運命を支配するとされる星のこと。生年によって決まっていました。師輔は、朝、貴族がなすべきことを次々に挙げました。
「鏡で顔を見て、暦で吉凶を占い、そして楊枝を使い、西を向いて手を洗うこと」
さらに「仏名を唱え、信仰している神社を念じよ」と続けました。
師輔は、冷泉天皇の祖父にあたる実力者。晩年は、貴族としての作法、儀式・年中行事について書き記し、後の九条流故実の祖となった人物です。どうやら平安貴族の間では、朝食の前に楊枝を使い、口中を清潔に整えることが、作法になっていたようです。
じつは、日本人は古来から神に祈る前に、口をすすぐ風習があり、それが歯みがきのルーツだという説もあるのですが、事実は不明です。
⑧「歯間・歯ぐき・舌もみがく」道元和尚が伝えた歯磨き作法
正しい歯みがきは修行の一つ
道元といえば、鎌倉時代初期に禅の教えを説いた高僧です。その説教を集めた『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』は、日本思想史の最高峰の一つ。その中に「洗面」の巻があることをご存じでしょうか。
「洗面」の巻は、こんな法華経からの引用で始まります。
「身心を澡浴して、香油を塗り、塵穢を(じんえ)のぞくは、第一の仏法なり」
まず、身を清め、心を清めることが、物質的な汚れ、精神的な汚れを取り除く仏の道だ、と説いているのです。それに続いて、驚くほど細かく、洗面の作法を述べています。その一部を紹介すると……。
- 洗面台で面桶に湯を入れ、棚に置く
- 右手に楊枝を持ち、華厳経を唱える
- 楊枝の片方を細かくよくかむ
- 歯の表面と裏側をみがくようにこする
- 歯ぐきと、歯と歯の間も丹念にみがく
- その間、口を何回もすすぐ
- 楊枝で舌をよくこする
- 血が出たらやめる
- 楊枝は目立たないところに捨てる
- 洗面桶の湯をすくい、額から両方の眉毛、目、鼻の孔、耳たぶの裏などをくまなく洗う
洗面は、規律と作法にのっとった生活を送る禅宗の僧にとって、修行の一つでした。そして、現代の修行でも同じように行われ続けています。
イスラム教にもある歯木の教え
ところで、歯の手入れの決まりがあるのは、仏教だけではありません。
歯ブラシが広まる以前、食べかすや歯垢をこすりとる道具として、世界各地で木の枝や草や木の実などが利用されてきました。アラブ世界で使われている「ミスワーク」はその一つです。これは、アラックという砂漠地帯に生える木の枝でつくられます。表皮をはがして、先端を水に浸けたり、手でほぐすと、簡単にブラシ状になり、ハッカのような爽やかな風味がします。
イスラム教徒の行動を定めた「ハディース」によれば、預言者ムハンマドは、1日5回の礼拝の前に、ミスワークで口の中を清潔することをすすめています。仏教と同じように、宗教的な意味もあるのです。
このため、今も、イスラム圏には、ミスワークを愛用する人が少なくありません。モスクの周辺には、ミスワークを扱っている店も見られます。